
私たちは持続可能な開発目標(SDGs)を支援しています



私たちは持続可能な開発目標(SDGs)を支援しています

SHIROYAMA HOTEL kagoshimaが建つ城山は西南戦争最後の激戦地となった場所で、西郷隆盛が最期の5日間を過ごした場所です。
ゆかりの深い地において私たちもその思いを受け継ぎ、持続可能な地域社会の実現を目指します。
城山は薩摩の人の聖地、心の拠り所です。城山で最後を迎える西郷を日本人全体が見守っていました。西郷が有司専制の政府に問いかけたものは何だったのか?半年前の田原坂で勝敗は決していたでしょう。2月に出軍した西郷は鎮台のある熊本城に向かいました。「政府に尋問の筋これあり」では大軍を率いての大義名分とは言えません。鎮台は陸軍大将西郷を迎えてくれると希望的観測をしていたのかもしれません。熊本城は明治政府の象徴でした。ここでの攻防を西郷軍は最重要と考えていたのでしょう。西郷の座右の銘は「敬天愛人」、西郷軍は「新政厚徳」の旗を掲げ、日本の国の在り方を問いかけたのです。
〈原口泉 氏 プロフィール〉
日本近世史・近代史学者
志學館大学教授、鹿児島大学名誉教授
第24代鹿児島県立図書館館長

SHIROYAMA HOTEL kagoshimaのサスティナブルな取り組みについてまとめた「サスティナビリティレポート」をご覧いただけます。


西郷さんは自ら野菜を育て味噌や醤油も自身で製造していました。
また、草鞋も自ら編み修繕をして繰り返し使用していました。


“
最新科学や技術に「追いつけ追い越せ」と急激に成長させた社会はいつか限界を迎える。
開発とは、本当に必要なのか、なぜ必要なのかをよくよく分析して進めなければならない。
ー「南洲翁遺訓より」
西郷隆盛は理論より実践を重んじました。日新公いろは歌にある「古への道を聞きても唱えても我が行いにせずば甲斐なし」の教えです。知識を得るだけでは真の学びとは言えません。西郷は行動して実際に社会を変えていきました。いま地球が温暖化の危機にあるとき私たちに問われているのは「持続可能な開発目標」達成のための実践です。幕末日本を真の独立国家にするために残された時間は少ない!明治維新という大きな変革を計画的に実行した西郷はバックキャスティングという思考法の持ち主でした。あるべき未来の姿を見定めそこから逆算してやるべきことを決めていたのです。西郷の行動基準は損得ではなく、善悪でした。利他の精神ですから多くの人が西郷に魅かれたのでしょう。さあ2030年まで残る時間で私たちは何をしましょう?

Human rights
全てのステークホルダーが、世代を超えて自分らしく良く生きられるように私たちはホテルが持つコンテンツを最大限活かし、心身ともに満たされる職場づくりに努めます。

九州大学大学院工学研究院 都市システム工学講座 教授
九州大学都市研究センター長 & 主幹教授
SDGs国連報告書評価委員
