山城「城山」をテーマとした連載の第2弾。
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山城「城山」をテーマとした連載の第2弾。
豪族上山氏が14世紀半ばに城山に山城を築いたことは第1弾で紹介しましたが、上山氏は14世紀後半には城山を去って桜島に居を移したとされています。
城山が再び歴史の舞台に登場するのが17世紀始め(1601年)、島津家18代当主家久(後に初代藩主)が城山に鹿児島城を築いたことです。当時の鹿児島城も山城で山上にありました。
それまでの島津氏は、出水郡の木牟礼城など北薩の居城を経て、鹿児島に移り、挿絵にあるとおり東福寺城(多賀山公園付近に1341年築、5代貞久~)、清水城(清水中学校背後に1384年築、7代元久)を経て、内城(大龍小学校の場所に1550年築、第15代貴久~)が居城でありました。
ところが、内城は急ごしらえであったため移転問題が表面化、家久は城山に築くことを主張しましたが、父義弘(第17代)は海に近すぎることや経費が多額になることを理由に強硬に反対、元の清水城を改修して使うべきだと諫めたといいます。
この時、家久が父義弘に従っておれば、鹿児島市街地は現在とは違った形で発展していたことでしょう。
家久の決断で1601年、城山に鹿児島城が築かれました。これによって鹿児島市街地は(現在の天文館や鹿児島中央駅など)南へと伸びていく方向性を与えられ、今日まで続いています。
第3弾では、鹿児島城の変遷について触れてみます。
(参照:「城山物語」毎日新聞鹿児島支局編 昭和44年、「城山」讀賣新聞西部本社 平成5年)

































































