山城の麓が六月灯発祥の地 ~ 観音さまと新照院のあゆみ ~
以前スタッフブログの第1弾にて、14世紀半ばには当時の豪族であった上山氏が城山の山頂に城を築いていたことを紹介しました。

以前スタッフブログの第1弾にて、14世紀半ばには当時の豪族であった上山氏が城山の山頂に城を築いていたことを紹介しました。
上山氏は菩提寺「上山寺」を城山の上に置いていましたが、1601年に島津家第18代島津家久が城山に鹿児島城を築いた時には、上山氏はすでに桜島に居を移しており、上山寺も城山から麓(城山トンネル入口近く)に移されたようです。
その後、家久を継いだ第19代光久が上山寺に隣接した「新昌院」(後に「新照院」に改名)に観音像を造立した際、旧暦の6月18日に、光久が灯篭をつけさせ、檀家がそれに倣って多くの灯篭を寄進したことが鹿児島の風物詩・六月灯の発祥とされ、その後次第に各地で行われるようになりました。
実は、光久が造立したものではないかと思われる観音像が、城山観光男子寮の近くにあるとの話を聞き、ブログ記者 ”K”は取材に出向きました。
その観音像は新照院町の町内会副会長を務める尾上清志さん宅の敷地の一角にあります。
尾上家の祖先は代々薩摩藩士で、かつては現在のJR鹿児島本線沿いから城山観光の男子寮、さらに城山の山頂まで広く土地を所有していました。
因みに清志さんの曽祖父・尾上謙蔵さんは西南戦争で薩軍に従軍し、熊本で戦死されたそうです。
先述したように観音像は元々新昌院にありましたが、明治の始め、廃仏毀釈の難を逃れようと新昌院から、尾上家が所有していた城山の山中に移されました。引き続き長きにわたって地域住民の心のよりどころとなりました。
その後、時代は明治大正を経て昭和34年頃のこと、城山観光の創業者である保直次氏が、「ホテルや遊園地を造りたいので城山にある尾上家の土地を売ってほしい」と訪ねて来られ、当時まだ中学生であった清志さんは家族会議で売却が決まったのを憶えているそう。売却先の城山観光からの依頼で、山中にあった観音像を移すことになり、尾上さん宅の一角に置かれ今日に至っています。今でも時折、地域の方々が尾上宅にやって来て、花を手向けたり拝む姿があるそうです。
古くは六月灯の発祥につながった観音さまですが、廃仏毀釈や城山開発の際に居場所を変えつつも時代の移り変わりを観てこられたのでしょう。
参照:「薩摩日地理纂考」、「鹿児島大百科事典(南日本新聞社編)」、「門前町新照院の歴史と由来(新照院町公民館)」



