1601年頃、島津家18代の家久が鹿児島城を築きました。
本丸や二之丸は山頂付近に置かれましたが、江戸時代の中後期には、本丸・二之丸としての機能は居館部分、現在の黎明館や県立図書館付近に移りました。
では、幕末維新を経て、鹿児島城のその後はどうなったのでしょうか。
ここでは【絵1】のとおり鹿児島城跡(山城部分)をわかりやすく北東部と南西部に区分して示していますが、明治以降はとくに北東部で用途が移り変わっています。
【絵1】鹿児島城跡(山城部分)を北東・南西に区分すると

(以下、鹿児島城(跡)の移り変わりを時系列で説明しますが、【絵3】のポンチ絵も参照ください。)
明治になり明治2(1869)年の版籍奉還で藩主に代わり知藩事が置かれ、最後の第12代藩主であった島津忠義が知藩事に任命されました。
その後明治4(1871)年の廃藩置県により、知藩事に代わって明治政府から県令が送られるようになり、一時期、本丸付近に県庁が置かれましたが、県庁はまもなく本丸外に移転。
同じ年、鎮西鎮台第二分営(陸軍の部隊)が置かれました。明治6(1873)年の廃城令で全国的に多くの城は廃城となりましたが、本丸に陸軍の部隊が置かれたことからも鹿児島城跡は防衛の要衝と見られたようです。
しかし同年の火災により、御楼門をはじめ本丸の大半が焼失しました。
同年、政変で下野した西郷隆盛は鹿児島の士族のために鹿児島城の厩跡(現 鹿児島医療センター敷地)に私学校を創設しましたが、明治10(1877)年の西南戦争では、私学校生徒が中心となって編成された薩軍と政府軍が戦火を交える悲劇となりました。
一旦、時点を廃藩置県に戻しますが、藩政時代、藩のものであった鹿児島城は、官有地(国有地)になりましたが、山城部分の南西部は早期に払い下げられ民有地になりました。
一方、概ね山城の本丸・二之丸のあった場所から北東部は、官有地のままでした。
〔山城部分〕は明治になり陸軍が所轄する官有地になりました。
そんな中、明治40(1907)年に皇太子殿下(後の大正天皇)が鹿児島を訪問されることが決定しました。
早速、鹿児島市では奉迎準備委員会をつくり、奉迎プランを練る中で「鹿児島においでいただく以上、城山にだけは何としても登っていただきたい」との意見が大勢を占めたようです。
鹿児島市史では「市は山頂の陸軍所轄地の譲与を陸軍大臣などに要望した」と記録されていますが、この時は交渉不成立。
市はとりあえず山頂の展望所設置と登山道拡充などの許可を取り付けて工事を進めました。
同年10月、来鹿された皇太子殿下は鹿児島市長や東郷平八郎海軍大将などを伴い山頂に登られ、展望台では昼食をはさんで2時間ほど滞在されて桜島の景観に見入られたといいます。
この奉迎の後、陸軍省は明治41(1908)年に山頂一帯を鹿児島市に払い下げ、市は明治43(1910)年、照国神社東口から七高の上を通り山頂に達する延長854m、幅3.6mの市道を整備し、沿道に桜、桃、カエデ、クスなどが植えられ、公園らしくなっていきました。
一帯は、西南戦争ののち市民にとって親しみ深い地となり、訪れる人が多くなりました。
話は前後しますが、明治18(1885)年、当時の渡辺千秋県知事が城山の中腹部分を公園にしたいと、管理する山林局に払下げを要望。交渉が成立し県内初の県営公園になりました。
しかし渡辺の後の山内堤雲知事の時代になると県営公園としては狭すぎるとの声が強まり、明治23(1890)年に鹿児島市に移管され、市によって公園としての整備が行われました。
なお、昭和6年には、藩政期以来維持管理されてきた貴重な植生を将来にわたり保存するため、山城部分の一部が国の文化財に指定されました。
〔居館部分〕は先述のように、本丸から藩庁、県庁、鎮西鎮台第二分営と用途が変わりました。
また一時、西郷らによって鹿児島城厩(うまや)跡に私学校が置かれました。
その後西南戦争を経て、本丸跡には、県立中学造士館などが置かれ、明治34(1901)年には第七高等学校造士館、太平洋戦争を経て昭和24(1949)年に鹿児島大学が設置されました。
鹿児島大学が郡元や桜ヶ丘へ移転した後、昭和58(1983)年の県歴史資料センター黎明館(現 県歴史・美術センター黎明館)の設置を機に県有地となり現在に至っています。
- 【絵2】本丸跡にあった鹿大医学部(昭和40年頃)

鹿児島城はその後、以上のような変遷をたどりました。現状は、北東部は概ね鹿児島市有地、居館部分の一部(本丸・二之丸あたり)は鹿児島県有地、南西部は概ね民有地となっています。
〔参照〕「城山物語」毎日新聞鹿児島支局編(昭和44年9月)、
「鹿児島城跡年表」鹿児島県歴史・美術センター黎明館 展示資料
「御城山から城山へ」小林善仁 鹿児島大学准教授(令和8年度造士館講座資料 令和8年5月16日)
〔監修〕鹿児島県観光・文化スポーツ部文化振興課 鹿児島城跡保全整備班主幹 横手浩二郎さん〕
【絵3】鹿児島城(跡)の移り変わり(北東部を中心に)
























































































